東日本大震災での原発事故のせいで、節電が騒がれた今年。太陽光発電に切り替える方が急増したとニュースでやっていた。私はそれ以前から太陽光発電には興味があった。実質、光熱費はほぼゼロになるし、余った電気を売ることもできると聞いたからだ。家計を考えるなら、太陽光発電に切り替える選択肢は間違っていない。しかし、今自然を利用した暖房や冷房、明かりなど、電気やガスなどに頼らないやり方も増えてきているようだ。家を建て替えるお金をためながら、よりよいものを選んでいこうと思っている。
現在の家に引越しをしてきて2年が経ちました。今までのアパート暮らしとは違い戸建てになるといろいろと出費が重なるものだと実感しています。最近ではよくソーラーパネルを付けないかといろんな業者が来ます。正直とても興味があるしソーラーパネルを付けようかとも家族で話し合っています。でも小さな買い物ではないのでどこに頼んだら安心なのかまだ迷っている最中です。
◆第93回高校野球選手権埼玉大会 ▽決勝 花咲徳栄2―1春日部共栄=10年ぶり2度目=(27日・大宮公園) “仲間”への思いが実った。1点を追う花咲徳栄が試合をひっくり返したのは5回。1死満塁から9番・金子龍哉の一塁内野安打で同点に追いつくと1番・長尾峻も左前打で続いた。「最も信頼を置いている」という2人の連打で甲子園切符をもぎ取った岩井隆監督(41)は、「すべてをつぎ込んで勝ち取った優勝です」と言葉を詰まらせた。
5月下旬のこと。岩井監督、広岡翔太主将ら5人が、津波で校舎が壊滅し、大船渡東の萱中校舎を間借りしている岩手・高田の野球部を訪問し、バット38本など野球用具や義援金を手渡した。高田とは10年前から年末に合同合宿を行っている。だが、そこで目の当たりにした被災地の光景は想像を絶するものだった。「言葉が出なかった」と広岡主将。帰ってすぐにミーティングで「当たり前のことが当たり前じゃない。そういうことを考えてプレーしよう」と訴えた。すると指揮官が「ガラリと変わりましたよ」と驚くほど選手に自覚が生まれた。
高田は初戦敗退し「甲子園で再会しよう」という約束は、かなわなかった。でも、自分たちの戦いを見てもらうことはできる。「心の面をしっかり調整して臨みたい」と岩井監督。熱い思いを胸に聖地に立つ。
◆花咲徳栄(加須市)1982年創立の私立共学校。生徒数1943人(うち女子830人)。野球部は創立と同時に創部で部員数100人。春は2度出場。ボクシング部なども全国レベル。主なOBに根元俊一(ロッテ)、ボクシングWBA世界スーパーフェザー級王者の内山高志ら。
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◆第93回高校野球選手権東東京大会 ▽準々決勝 修徳0―8帝京=7回コールド=(27日・神宮) プロ注目の148キロ右腕、帝京の伊藤拓郎(3年)が、準々決勝の修徳戦で7回参考ながらノーヒットノーランを達成した。打者22人に80球。ゆったりとしたフォームから最速143キロのストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップを低めに集めた。無四死球で許した走者は三塁失策の1人だけだ。
伊藤は「今年一番の投球。(上半身の)力を抜いて、最後まで投げきることだけ考えた」と満面の笑み。昨夏の東東京大会3回戦の墨田工戦でも7回参考で完全試合を達成している。だが、甲子園出場を逃し、その後は背中のけがなどに苦しんだ。「今日の方がうれしい」と完全復活への手応えをつかんだ。
“新女房”の支えもあった。帝京史上初めて1年夏で正捕手となった石川亮。実力派シンデレラボーイに「内角の多い強気なリードで乗れた」とエースは感謝。奪三振は3つにとどまったが、内外角をつきゴロアウト13と、ネット裏の日米9球団のスカウトに新境地を披露した。大会前、帽子に決意を記した。「甲子園」―。甲子園経験者は3年生3人だけ。「自分が連れて行く」と1年夏から大舞台を知る剛腕が、3季ぶりの聖地切符をもぎ取る。
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◆第93回高校野球選手権茨城大会 ▽準決勝 藤代2―0常総学院(27日・水戸市民) “最後の夏”に臨んでいる東西の名物監督の明暗が分かれた。茨城では、甲子園春夏通算3度優勝の名将・木内幸男監督(80)率いる常総学院が、準決勝で敗退。全国制覇で有終の美を飾った前回勇退時(03年夏)の再現はならなかった。一方、島根では昨年センバツでの「末代までの恥」発言で引責辞任し、今春から復帰した野々村直通監督(59)率いる開星が、2年連続8度目の出場を決めた。そのほか、千葉(習志野)など全15地区で代表が決まった。
最後の夏は、少しあっけなかった。甲子園どころか、茨城大会の準決勝で敗退。それでも試合後のベンチ裏には木内監督の豪快な笑い声が響いた。「非常にいい(野球)人生で、幸せの一言。俺の時代は終わった。ガハハ」。母校の土浦一、県勢初の全国制覇を成し遂げた取手二、そして2期にわたる常総学院。監督生活55年。華麗な“マジック”で歴代5位となる甲子園通算40勝を挙げた名将が、静かにタクトを置いた。
狙っていたのは、あくまで4度目の日本一。ともに1点を追う4、8回に迎えた1死二、三塁の好機では、強攻策に打って出た。いずれも失敗に終わったが、「打って勝とうというチーム作りをしてきた。バントではなく、力で勝てなければ大阪では勝てない」と真意を語った。
前回、勇退を表明した03年夏には、決勝で2年生エース・ダルビッシュ有(現日本ハム)擁する東北(宮城)を破り、自身3度目の全国制覇を達成。野球の神様に祝福されたかのような劇的な展開。「どうして私の最後の夏、こんなにつぐ(つく)んだろうか」。茨城なまり丸出しの“木内節”で幸運をありがたがった、有終Vの再現はならなかった。
07年秋の復帰後は、甲子園に2度出場も白星を積み重ねることはできなかった。腎臓がんを摘出するなど満身創痍(そうい)の老体にムチ打って戦い続けてきたが、ついにユニホームを脱ぐ。試合終了後には、多くの観客から万雷の拍手を送られた。「負けるとしたらきょうだと思ってたんだよ」。“絶口調”の名将は、みんなを笑顔にするという“ラストマジック”を見せて球場を去った。
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